超時空要塞キクロス

キクロスとは菊池市生涯学習センターのことです。友の会の会員が除名覚悟で書いております。

光る君へ(14)

光る君へ(13) - 超時空要塞キクロス (hatenablog.com)の補足

 右衛門の佐宣孝といひたる人は、「あぢきなき事なり。ただきよき衣を着て詣でんに、なでう事かあらん。必ずよもあやしうて詣でよと、御嶽さらに宣はじ。」とて、
 三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、白き襖、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が、主殿の助なるには、青色の襖、紅の衣、すりもどろかしたる水干といふ袴を着せて、うちつづき詣でたりけるを、かへる人も今詣づるも、めづらしう、あやしき事に、すべて、むかしよりこの山に、かかる姿の人見えざりつ、と、あさましがりしを、四月一日にかへりて、六月十日の程に、筑前の守の辞せしに、なりたりしこそ、げにいひにけるにたがはずも、ときこえしか。

枕草子119段:宣孝の吉野の御嶽参りについて
右衛門の佐(えもんのすけの)藤原宣孝と言う人は「(質素な格好が参詣の時に好まれるという不文律に反して)つまらないね。ただ清い着物であれば質素でなくてもいいではないか。粗末な着物で詣でよとは御嶽の蔵王権現さまでも仰るまいに。」…というわけで3月の末に(中略)山吹色の大げさな着物を羽織り、息子の隆光には(中略=要は息子も派手だった)、ぞろぞろと参詣したのを、帰る人もこれから行く人も珍しがり不審に思って「およそ昔からこんな格好で参拝する人を見たことがない」と言っていた。(中略)筑前の守が辞任して、その後宣孝が就くことになり、なるほど言ったことに間違いはない(御利益があった)と噂になった。

とある。宣孝演じる佐々木蔵之介が派手ないでたちをしていたが、これは後に清少納言に貶されることになる。

ついでに、前回から4年経った雰囲気はまあ出ていたのかな。

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ここから(14)

ドラマとしてはつまらなかったので文学解説を記しておきます。

イカ演じる桔梗(後の清少納言)が、夫も子も捨てて出仕したいと言う。
田辺聖子は『枕草子』に記された子どもに関する記載は「見た目のかわいらしさにとどまり、実際に子どもを産んだ女のそれではない」と書いている。多分小生も田辺説は当たっている気がする。

盗賊に襲われるが、かえって取り押さえた(あるいは斬り殺した)話が伝えられ、武勇に優れ胆力もあった人物とされる(『江談抄』『今昔物語集』『宇治拾遺物語』)。一方、則光の妻、清少納言の作『枕草子』78・80ではやや気弱な人物として描かれている。
金葉和歌集』と『続詞花和歌集』に1首づつが採録されている勅撰歌人であり、『後拾遺和歌集』1156の詞書の中にもその名が見られる。一方で『枕草子』では、和歌に弱く和歌を読みかけるなら絶交するという、風流を避ける態度を取っているが、さすがに文学面で清少納言と対比すると均衡が取れなかった様子が窺われる。
斜体字部分はウィキペディアから拝借した。橘則光に関する記載である。武張った人物で、明らかに清少納言との釣り合いは取れそうにない。田辺は清少納言の子どもは夫である則光が側室に産ませた連れ子ということにしている。


歎きつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかに久しき ものとかは知る(『蜻蛉日記』より)
を臨終が近い藤原兼家が口にする。これは『蜻蛉…』を象徴する短歌で、訪(おとな)いを待つ女の気持ちを詠んでいる。「あなたが来るのを待っているのに(来ないのね)、とうとう今夜は独りで過ごします。今晩のような場合、夜明けが来るのをどんな思いでいるのか、どんなに長いものなのか少しは知ってくださいな。」くらいの意味。分かりやすい。

さて、紫式部一家がここまで困窮したか?為時の学識があれば、摂政に睨まれているにしても、こっそり家庭教師的なお呼ばれはあったのではないか。