超時空要塞キクロス

キクロスとは菊池市生涯学習センターのことです。友の会の会員が除名覚悟で書いております。

なんたる不器用

不器用/無器用。二つの書き方がある。器用な人は二通りの書き方があることを知らないかもしれない。小生は不器用だからこそ意識している朋言える。

どこまで行っても不器用は不器用である。不器用な人とは、

・目先のことだけ考え、先のことを予想できない

・勝手な思い込みが激しい

・自分のことで頭がいっぱいで周りへの配慮を欠く

・空気を読めない

どうも、そういうことらしい。

「器用な人は自分の発言によって地雷を踏むことはあまりありません。本音と建前をうまく使い分けることができて、世渡り上手なところがあります。」なるほど、これは凄い。真似できない。

小生は比ぶべきものがないほど不器用なのである。

それがブログを続けられる理由でもあるのだが。

 

 

<長い追記> 読み返して、なんたる不器用かと思ってしまう。4年前に書いたが、これは伝わる人が少ない典型的な例だろう。

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思いつくまま書く駄文で恐縮である。

ちょっと意外に思われるかも知れないが、テレビ(ニュースと天気予報はもちろん見るが)に縁のない小生だが90年代のポップスには詳しい。詳しい、といっても条件が付く。曲名とミュージシャンを知らないのである。何だそりゃと言われそうだが、ガソリンスタンドの隣に住んでいたので、有線で流れてくる楽曲を聴くとはなしに聴いていたのである。ゆえに、後年になって、先述の曲名なり歌い手なりを知ることになる。
ああ、あの曲はドリカムのサンキュだったのか、モーニング娘のピースだったのか、と下手すれば20年くらい後に知ることもしばしば。ユーチューブのおかげで、今ではかなり曲とミュージシャンの一致をみている。

たまにNHKのデータが見たくてスイッチオンすると、駅ピアノ、空港ピアノの類いをやっているが、なにげにすごい。市民演奏家のレベルも高いが、いちいち、クラシックであろうが内外のポップスであろうが、楽曲の名前が示されることである。ということは古今東西の音楽を知っている人間が放送局内にいるということである(もしかしたらAIがデータを探っているのかもしれないが)。

ものに名前があって、その名前を知っているというのは尊いことではないのか。例えば植物や小動物であっても、絵画であっても。なぜこんなことを書いているのかと言えば、阿刀田高谷崎潤一郎の小説のタイトルについて、ちょっとこれは題と中身が一致していないのではないかと言及しているからである。

俺たちに明日はない:Bonnie and Clyde:ボニーとクライド
明日に向かって撃てButch Cassidy and the Sundance Kid:ブッチとキッド
左の名前で本邦公開されていたら、これほど記憶に残っただろうか。この2本は米映画だが、
初恋の来た道:我的父親母親:私の父母
これは中国の名画である。初恋の来た道、映画の中身をきちんと表すいいタイトルである。