勤めていた会社が人手に渡った(実際には経営者のヤケを感じてその前に辞めた)ことが1回。勤めていた職場が無くなったのが2回。
そういう人生である。
なんだかこういう話を書くととても不幸に思われるかもしれないが、こうやってブログを書いて本を読んでいる。(本を読んでブログを書いているのが普通だが、逆になりつつある。)
意外に幸せだぜ。お金に困っていることもないし。
上記の通り、職場が無くなったから今、新人をやっている。60歳の新人である。
最低限というより最低最悪のところから考える癖がついた。つまり明日馘首を宣告されてもおかしくないと覚悟している。そうなったら、またコンビニの店員でもやればいいやと、ある意味とんでもないことを考えている。実際に空気読めないヤツなんだろうと思う。
職場での評価は自分が決めることではない。労働者としての価値は周りが決めることである。失業しても小生は小生。小生の人間としての価値は人が決めることではない。
幸せとは オリンピックに出ることでも 紅白に出ることでもない 心が「あぁ、幸せだな」 と思うことが 幸せなんです。(斉藤一人さんの言葉)
明日、仮に馘と言われても職場には感謝する。※悲壮感で書いてないからね。
最初に勤めた会社で毎日どやされて落ち込んでいたが、あの時が一番苦しかったかな。どやされるのが嫌で、どうにかしようと思った。後で上司から「お前が自殺でもするんじゃないかと思っていた」と聞かされた。まあ辞めたけど、タイミングは良かったと思う。しばらくコンビニでバイトしていたが、"またコンビニ"というのはそういう意味である。
仕事や勉強は要領が悪くてはかどらなかったにせよ、人生に無駄なし。
ブログ書いている時が一番幸せかもしれない。マジで。