五十八といういい歳をして、母は父を捨てて他の男と同棲を始めた。
二人の間には男女それぞれの子どもがいた。
主人公であるタクは妻と幼い娘二人で幸せな家庭を築いている。一方で姉の和恵は夫と別れ、ひとり息子の養育を生きがいとしている。離婚後に始めた営業が性に合っていたらしく、本社から表彰されるまでになっている。
そんな折、父は、同棲相手に先立たれた母ともう一度暮らしを共にしたいと姉とタクは聞かされる。
非常にややこしい。
・両親が熟年離婚。
・姉もまた、ほぼ熟年離婚。
・事情を訊きにタクが故郷の父の元を訪ねようとしたところ、姉の元夫(中村)と飛行機で一緒になる。姉に慰謝料を払う代わりに、息子(翔馬)との関係を保ちたいという中村と妥協した結果、時々翔馬と二人で過ごす機会を持つようにしている。その翔馬と会いに行くところだったのである。
こういう複雑な状況を短編で小説に仕立てようと思ったら、大概の読者には面倒だと映るはずだ。話が破綻していてもおかしくない。
が、これを上手くまとめた重松の腕は凄い。
普段はおとなしい翔馬が、中村に元気なところを見せようとはしゃいでしまい怪我をする。これがクライマックスで、子どもだって親に気を遣っている、同時に両親が揃っていることがどんなに幸せなことなのだろうか、と読者に訴える。
後年『ひこばえ』という小説で、重松は年を取ってしまった男はどう生きるかという似たテーマの小説を書いた。NHKでラジオドラマになったくらいだから、評価は高いのだろう。が、いかんせん長すぎる(上下巻ある)。それよりも、短編にまとめて余韻を残した(おそらく母が帰ってきて、当たり前の様に父と暮らすだろうと思わせるだけで、その場面は小説にない)本編の方が、小生は優れていると思う。
『ゲンコツ』『セッちゃん』『母帰る』の三編が直木賞を記念した「オール讀物」に掲載されていたものである。四半世紀近い年月が経ったが、改めて『ビタミンF』を評価したい。平成の直木賞受賞作で、小生は最も優れたものだと思っている。