毎年、新社会人デビューの時に書いてきた。
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何年も似たようなことを書いてきた気がするが、新入社員が入ってくる時期が来た。それを迎える諸兄諸姉には申し上げておきたい。
新人には粘り強く教えてやって欲しい。
「同じことを何回も言わせるな」「何度言ったら分かるんだ」は禁句。
パワハラと受け取られないように、柔らかい言い方をせよ、という意味ではない。ものを人に教えるのには根気が要るということである。小生、生まれてこの方「あいつ、人の話を聞いてないよ」「前に言ったこと全く理解していないよ」というような愚痴を何度も聞いてきた。また小生も言ってきたかもしれない。それどころか、面と向かって「あんた人の話聞いてないだろう」と言われる方の人間であった。
しかし、人は人を理解できない。自分の言っていることを人が聞いてくれていると思うのは傲慢である。なぜなら人はそれぞれ違うから。自分の関心事は他人にとっては「どうでもいいこと」だったりするからだ。
小さい子どもの言うことを真剣に聞いてみて欲しい。
「僕は大きくなったら電車になりたい」
「ぼくは火星人と日本人のまん中くらいの人なの」
「プロ野球を見に行ったら、○○選手のお尻が大きかった」
常識という概念がないから、大人では思いもつかないことを言う。数年も経てば、そりゃもう少しまともなことを言うようになるかも知れない。しかし、大人になればまともな常識人になるのか、と言えばそんなこともない。「常識がないね」と人を腐すヤツに、結構非常識な人間が多いと思いませんか。
A「ねえねえ、ウチの亭主がタバコの吸い殻片付けないのよ」
B「ワタシんとこも大変よ」
と相槌は打ってもBさんの方は(ああ良かった、ウチは案外几帳面だから)と思っているかもしれないし、(明日は空き缶空き瓶の回収日だわね)とまったく違うことを考えているかもしれない。そもそもAさんの方も明日になれば、法事のことで頭が一杯でBさんに喋ったことを、もう忘れているかもしれない。
小生が人生で学んだことは
一,人はみんな違う。
二,だから自分の言っていることは人に伝わっていないと思っていた方がいい。
三,故に複数回同じことを言ったり、または文書で伝えたりする必要が出てくる。
四,時に、いや、しばしば自分は間違う。自分の是が世間の非だったりする。
五,だから、他人を許す度量を持とう。これが“おとなになる”ことではないか。
と、いうことである。
[金言]
人間の脳は記憶したことの、ほんの一部しか取り出せない。なのになぜ人は苦労して学ぶのか。それは知恵を身につけるためだ。学ぶという行為の中には、知恵という目には見えないが、生きていくには非常に大切なものがつくられていると思うのだ。(広中平祐)
どれほど弁が立とうと、知識があろうと、ウソをついている人間は所詮弱い。世の中で最も強いのは、正直に行動する人間である。(万城目学)
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小生60歳の新入社員である。往復ビンタを食らっている。
Aさん:これをどうしてさっさとしないんですか。
わたし:(だってBさんから指示をもらってないのに、と思いつつ)はい。
仕方なくAさんに言われた通りにやる。
Bさん:なんでこんなことやっているの?誰がやれって言いました?
・・・・と、こんな感じ。まさに往復ビンタである。若かったら(40年前なら)、「もういいよ。明日から来ない。」と言っているかもしれません。