超時空要塞キクロス

キクロスとは菊池市生涯学習センターのことです。友の会の会員が除名覚悟で書いております。

『雪の練習生』その2

パートⅡ:死の接吻

語り手が変わる。この章の「わたし」はウルズラという女性(人間である)。第一章の娘であるホッキョクグマのトスカの調教師を務め、サーカスで共演もしている。

ウルズラが角砂糖を口にし、それをトスカが舌で絡め取るという曲芸が人気の演目だった。一団には他にもホッキョクグマはいたのだが、本当に人と心を通わせることの出来るクマはトスカだけだったのである。ウルズラとトスカは接吻によって魂を入れ替えることも出来るようになった。
実はこのパートⅡ自体、実はトスカが書いたウルズラの半生記だったというオチがつく。
トスカの一団は東京での公演で“東独の”ボリショイサーカスという触れ込みだった。そのずっと前に来た本家ロシアのボリショイサーカスの印象が強烈だったからである。自分たちの芸がはるかに上であるということは理解されない。ホッキョクグマこそが最強の哺乳類でライオンなどをまったく問題にしないということすらも、多くの人は知らない。そもそもサーカス興業自体が、社会主義の優位性を西側に思い知らせるという目的だったのだが、接吻芸はアメリカでは衛生法に違反しているなどとクレームが付く。
斯くの如く、トスカとウルズラの思いは、周りとは食い違いの連続である。
文字通りホッキョクグマホッキョクグマらしく生きることができるのは故郷は北極なのだが、帰郷は叶わない。夢は息子のクヌートに託すことになる。

 

※追記します

度々ブログを始めて以来、何回も書いていることですが、小生が人生で学んだ最も大きいことは「人はそれぞれ違うということ」です。

例えば名作と言われている映画を観て、A君は「こりゃすごい」と思う一方、B君は「うわっ、つまんねー」ということはあり得るのです。正直に書きますが、小生はスピルバーグの映画に感動したことがありません。映画もずいぶん高い入場料を払って観ましたが、得た結論は「彼我の違いを知る手段」です。例え話ですよ。

社会主義に対する幻想があって失望を覚える。その一方で社会主義国では優秀な頭脳の持ち主であれば、大学はタダで行けるという特典もある。アメリカンドリームと言うけれど、落ちこぼれれば、つまずけばその先に待つものは何か。(パートⅠ=社会風刺)

ホッキョクグマは最強の哺乳類なのに、多くの人がライオンをイメージする。それは偏見に因るもので、実際には違う。声を大にして訴えたところで、まず理解は得られない。(パートⅡ=人生論)