超時空要塞キクロス

キクロスとは菊池市生涯学習センターのことです。友の会の会員が除名覚悟で書いております。

我々は言葉によって生きている

※言いたいことは後にあります。太字部分の古今和歌集「仮名序」は、飛ばし読みしてくださって結構です。

やまとうたは、人の心を種として、万(よろづ)の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ(言業)繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。

ここで紀貫之は歌についてのみ語っているのではない。言葉はすべてこれらの機能(筆者注:あらゆる物事やその思いを伝えること)を備え、更にその先の道の領域にまで探究心をひろげて精神世界の辺境へ歩をすすめようとする。【ここまで池澤夏樹

 

我々は苦しい時、自分自身に「おい、もっとがんばれ」とか「子どもに見られたら恥ずかしいじゃないか」言葉をかけて励ましている。そうだろ?

一生懸命やったことを「よくやった」と誉められて喜び、「まだ甘い」と言われ傷ついて、「今に見てろよ」と思う。

言葉は、その人の心であり、また頭脳である。

「こうするの」「ぐじゅぐじゅして、ぺっ、でしょ」と教えられ、いつの間にか歯磨きという習慣が出来上がる。習慣になれば言葉で逐一整理する必要はないが、「なんだか気持ち悪いな」「虫歯になったらいやだな」という言葉が、歯磨きを進歩させる。

新学期・新学年、「あの理科の先生面白いな」とつぶやいたら「俺もそう思う」と共感する奴がいて、友達になる。

友愛だって言葉が先にある。

我々は言葉によって生きている。

 

とりあえず、弊ブログも一段落しました。何かを書きさえすれば誰かが来てくれるという状況を作ることができたと思います。

皆さん、弊ブログはこれでおしまいです。…というのは冗談で、諸般の事情で頻繁に更新することが難しくなって来ました。ブログを書くという習慣はできています。書くことが苦しいとか辛いとかネタがないとかはありません。

時間が許せば更新はして行きたいと思います。

ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

 

 

 

ちなみに仮名序口語訳;

和歌は、人の心をもとにして、いろいろな言葉になった(ものである)。世の中に行きている人は、関わり合う色々な事がたくさんあるので、心に思うことを、見るもの聞くものに託して、言葉に表わしているのである。(梅の)花に寄って鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞くと、この世に生を受けているもの全て、どれも歌を詠まないことがあろうか(結果的に、みな詠むのである)。
力を入れないで天地(の神々)を感動させ、目に見えない鬼神をもしみじみとした思いにさせ、男女の仲を親しくさせ、勇猛な武士の心を和らげるのは、歌なのである。

 

【追記】

幸せになりたかったら「幸せ」だって言いな。 言葉が先だよ。
これだけで8万人集めているという事実。みな言葉が欲しいのだ。