現在放送中のものと、過去の放送分と双方載せているので書いている小生が、もう分からなくなってしまった。後で整理します。
今度は岩波文庫の新古今和歌集の頁を適当に開けると儀同三司母の歌があったので、17回について。
言葉遣いがむちゃくちゃである。まひろの父である為時が「道長様」と呼び、まひろの従者である乙丸までが「道長様」という。
あり得ない。
ジャパネットの社員が社長のことを高田さんと呼ばないように、この場合は大納言様と呼称すべきである。
さらに、金田哲演じる藤原斉信(ただのぶ)が、清少納言に迫る(性交渉くらいはしたのだろうと思わせる)が、身分の点では下位(の下位)にある清少納言が、斉信に「~しないでよ」などという口の利き方をするだろうか。要はセリフがなっていない。
さらに死に瀕した道隆が、元号を長徳に改めるように帝に奏上するが、この徳の字がおかしい。この時代は旧字で「德」と書いた。漢字までダメだ。
百人一首№54「忘れじの ゆく末までは かたければ 今日をかぎりのいのちともがな」儀同三司母 新古今では戀歌三№1149
いつまでも忘れないよ、と仰ってくださった、貴方のあの言葉が、未来永劫変わらないことはないと思います。だから、いっそのこと、あの愛の言葉を聞いた、(この嬉しい気持ちのまま)今日その日限りに命が尽きてしまえばよいのに。
百人一首では通称と歌人の名が一致しないことがある。「ぎどうさんしのはは」とは道隆の妻・高階貴子である。
道隆が病に倒れる。飲水病と言っているが要は糖尿病。酒を呑む一方、「水をくれ」と言う。同じように糖尿病の△△(元同僚、名を伏せます)は、いつも天然水の2㍑のペットボトルを持ち歩いている。酒はほどほどに。
岩波文庫の新古今和歌集は佐佐木信綱校訂です。孫が幸綱で俵万智のお師匠さん。
卯の花の匂ふ垣根に 不如帰早も来鳴きて
の「夏は来ぬ」の作詞家です。なつはきぬ/なつはこぬ 読み違えば地獄行き。
日本語って恐ろしいですね。
<追記>
別れた昔の恋人が詠んだ歌で、今の配偶者に詮索されると困る。
と前項で書きました。編纂者のことに限りませんね。例えば天皇がちょっと身分が低い女と関係してしまった場合など。
duchessluluchikuさん、読者になってくださってありがとうございます。