紀行で出てきた歌。
夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀(はか)るとも
よに逢坂(あふさか)の 関は許(ゆる)さじ
夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関(かんこくかん)ならともかく、この逢坂の関は決して騙そうとしても許しませんよ。要は孟嘗君の食客のひとりがうまいこと鶏の鳴き真似をして、関守に夜が明けたと勘違いさせて通過したという史記のエピソードから歌を作っている。よに=決して。百人一首№62、清少納言。
歌を贈られた行成は
逢坂は 人越えやすき 関なれば
鶏鳴かなぬにも あけて待つとか
と返した。
いえいえ、逢坂の関なんて取り締まりが甘くて、鶏が鳴く鳴かないに関係なく、いつでも開いているじゃないですか。…くらいの意味か。
都道府県庁所在都市同士が隣り合っている例が、①福岡市と佐賀市、②宮城県仙台市と山形市、③滋賀県大津市と京都市、という三つ。大津と京都市山科区の間にある。割に越えやすいというのは事実だっただろう。「光る君へ」では石山寺詣でが二回あったか。この寺院は、今の大津市にある。後世の東海道五十三次でも大津の次が京の三条大橋である。思い立てば徒歩で(当たり前か)一泊二日で行けたのである。
田辺聖子は、二人は仲の良い友達で恋愛関係にはなかったと解釈している。実際は行成は、この歌の出来の良さに感心して見せびらかしたという。普通そういうことをされたら「人に見せたりしないでよ」と怒るところだが、清少納言は喜んでいたそうで、並みの神経ではない。それでさらに行成に気に入られたのだとか。
アクセス0のまま。誰も来てくれないとやる気なくなる・・・・ことはないが、テンションはだだ下がり。ま、どうでもいいけどな、たかがブログだ。