超時空要塞キクロス

友の会の会員を辞めました

やめ時が来たかな

菊池市図書館友の会、及びその周辺の方々に向けて書いてきましたが、

①アクセスが少ない。全体としては悪い数字ではないが、肝心の菊池市周辺の人たちからの訪問がないと感じること。

②友の会の活動がまるで、とまでは言わないが停滞している、機能していないと思うこと。要である広報紙に魅力が薄いこと。

③小生自身が友の会からの退会を考えていること。このままでは市に対して何の貢献もできない。①②のことを考えると、一人でもがいて、そして悩んでいる自分は何なのかと思います。退会してひとりで気ままに書きたいことを書いて行きたい。それで少しおとなになれるのかな、と思っています。

以上の理由により、弊ブログもやめようと考えています。10月号のHPを見てから決めます。さすがに、いきなりはやめることはしません。あと10日の内に決めます。

 

追記:やめることにしました。元のブログに戻ります。

なお、まだ小生の書いたものを読まれたいという奇特な方がおられたら、

大貫拓朗

で検索をかけてください。

短い間でしたが、お世話になりました。さようなら。

 

さらなる追記:

止めるメールが来ました。

「退会されるのは残念です。

ただ、大会の理由がよくわかりません。」

※退会をするのであって、大会は行いません。

山風を嵐といふらむ

吹くからに秋の草木のしをるれば

むべ山風を嵐といふらむ

ふくからに あきのくさきの しおるれば

むべやまかぜを あらしというらん

<吹くとすぐに秋の草や木がしおれてしまうので、山から吹き下ろす風のことを

なるほど、「嵐」と言うのだろう>

「むべ」は「なるほど」「いかにも」

「からに」は「~するとすぐに」

嵐を山と風に分けて読み込んだ、言葉遊び的な機知を弄した歌で感動がない

・・・・とシャープの電子辞書にはある。

確かに古今集に収録されているが、百人一首に選られてなければ、ただの頓知の歌で終わってしまうところだった。これが藤原定家の後世への影響の大きさを端的に表す。

我々はつい忘れがちになる(平安と鎌倉という時代の違いが大きい)が、定家は道長の子孫である。

少し前に道長・頼道親子は平安文化のプロデューサーだったと書いたが、その血は、俊成・定家親子に受け継がれていると小生は思っている。

 

面白い本がある。田辺聖子田辺聖子百人一首』に度々出て来る織田正吉『絢爛たる暗号』。"百人一首が名歌とは限らない"ことを古典文学や短歌の愛好家は知っている。その理由を解き明かしている。百人一首隠岐に流された後鳥羽院のことを思って編纂されたという。

ちなみに定家自身の採用歌は

来ぬ人のまつほの浦の夕凪にやくや藻塩の身もこがれつつ

嵐、やまつ風、秋風などを含んだ歌が多く、やがてそよかぜになり、自分の歌では凪(なぎ)になっている。そこには「どうか嵐よ静まってほしい」という定家の願いがあるという。

和歌に情熱を傾け定家のよき理解者だった後鳥羽院は反幕府。

一方で鎌倉時代最高の歌人であった定家は公家とは言え幕府側に立たざるを得ない。

承久の乱後、表面上二人は決裂した形になっているが、後鳥羽院を思う気持ちに変わりはなかったというのが織田説である。どうも本質を突いている気がする。

 

※追記:時々世話になっている小倉山荘の短歌サイト

吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ | 小倉山荘(ブランドサイト) | 京都せんべい おかき専門店 長岡京 小倉山荘 (ogurasansou.jp.net)

Re:むかし・あけぼの

田辺聖子『むかし・あけぼの』 - 超時空要塞キクロス (hatenablog.com)

「むかし・あけぼの」についてはここに書いた。

某所に田辺聖子『むかし・あけぼの』を映像化した方が良かったのでは、と思います

と投稿したらイイネが結構来た。

意味することは、「光る君へ」がつまらなくなってきたことと、「むかし・あけぼの」の読者が多いことだろうと思う。

NHK短歌2024/09/22

選者との好みが分かれた。

小生が選ぶのは

結婚か

仕事か迷うと

孫が言う

本当に好きなら

迷わないのよ 和光市 中門和子

 

「おかあさん

だいきらい」だと

言えるのは

おかあさんから

愛されている子 三鷹市 北清水麻衣子

 

「大きらい」と

口に出せたら

こんなにも

きらいにならなくて

すんだのに 船橋市 佐々木惠

 

選者の歌はいい

好きだった雨、

雨だったあのころの日々、

あのころの日々だった君

 

本日の短歌は機動戦士ガンダムのBGMがよく似合う。このアニメでスッキリした終わり方というのは、まずない。敵に勝ったからと言ってアムロの中でもやもやはいつも残っているから。本当に嫌いな人がいるとすれば、人は大概その嫌いな人を避ける。「嫌い」と言うのはボタンの掛け違えであって、「好き」にもなる。

渡辺岳夫「苦い勝利」Bing 動画

名は体を表すか

先日、買い物から帰ってきた妻がこんなことを教えてくれた。
「駅ビルの蜂蜜専門店で、友だちへの贈り物を買ったんだけど、店員さんがすごく親切だったよ」
「よかったね」
「しかもね、名札を見たら『赤熊』さんだったの!」
から始まる「言葉季評~文字に香るもう一つの世界 ふと立つ、詩の入り口」穂村弘。昨日(2022/04/08)の朝日新聞
この後、蜂蜜と赤熊さんという名前の似つかしさ。
宇宙飛行士の「星出さん」、箱根駅伝、山の神と言われた「神野大地」、服部勇馬・弾馬兄弟も速そうな名前である。藤川球児というのも如何にもという名前。
言霊というのは本当にあるんだろうか。遺伝、素質に加えて、その名前がプラスに働いたのではなかろうか。

ふうわりと蜂蜜香る振込先 熊本銀行花畑支店  伊藤まり

※熊本にご縁のない方のために書いておくと花畑は「はなばた」と読む。

この後、穂村は西東京市の名前に言及している。田無と保谷の合併だが、確かに二十三区の西にあるから西東京で分かりやすい。しかしこの名称に風土を感じない。地名とは単なる識別記号でなく、背後に固有の時間を負っている。世の中のすべては合理性で埋められない。

そういうコラムだった。(ここまでは2年前に書いたもの)

 

いかにも強引に付けましたという名前は不自然な感じがする。

みやま市

筑後市

東峰村(ここまで福岡県

山都町(熊本県  

南九州市(鹿児島県

こういう地名。

・みやこ町(福岡県

いちき串木野市(鹿児島県

のように、ひらがなというのもどうか。

 

※追記します

福岡県糸島市

鹿児島県伊佐市

元からある地域名をそのまま自治体の名前にしたところがいい。

「野球と政治の共通点」と題し、5年前に書いたもの

野球に興味のない方には申し訳ないが、ライオンズがほぼ優勝を手にしたといってもいいくらいの状態である。

ライオンズ残り試合、9/21試合前の状態で(多分計算間違いはないと思う)、

4勝1敗.577:マジック消滅で優勝

3勝2敗.570:Hが6勝0敗で.576

2勝3敗.563:Hが5勝1敗で.568

1勝4敗.556:Hが4勝2敗で.561

0勝5敗.549:Hが3勝3敗で.554

絶対という言葉は使えないが、ライオンズが残り5試合を3つくらい負けてもいいのに対して、ホークスは1つしか負けられない。追うHにはかなりの負荷が掛かる。Lは去年優勝を経験してる上に勢いがある。勢いというものは、「やってやるぞ」「これなら大丈夫だ」という精神的なもので、気が張っている。エラーした選手がホームランで取り返したり、ちょっと考えられない点差をひっくり返してものにしたり、そういう‘現象’が出現する状態である。

ホークスにもチャンスはあった。千賀がノーノーをやってのけて、チームが勢いづいて・・・・と思ったのだが、そうはならなかった。

どこかで読んだのだが、とにかく工藤監督は直接選手に口を出す。担当のコーチに任せるべきところを我慢できず、ついつい自分でやってしまう。自覚は工藤本人にもあるらしいのだが、辞められないらしい。

 

『イギリスの失敗』PHP新書、岡部伸著。

テリーザ・メイ前首相の失敗は、頑固で他の政治家とのコミュニケーションを図り、仲間をつくることをしなかった点にあるらしい。しかしメイ自身は元来EU残留派であったのだが、UKとEUの折り合いをつけるために、敢えて火中の栗を拾う役を買って出た形である。そもそもは賢い。世が世なら名宰相と称えられたかもしれない。気の毒でもある。

その前の首相のキャメロンが、甘い考えでEUに残るか離脱するか国民投票に委ねてしまったことに大きい間違いがある。UKにも妙な‘勢い’があって、離脱支持者もまさかと思った離脱希望の勝利に終わった。現政権にちょっと意地悪な気持ちでexitに入れたら、本当にBrexitになってしまった、というケースも多かったと思われる。アイルランドと英領北アイルランドには実質国境がない状態で、離脱の暁には混乱しか考えられない。

回りくどい言い方になってしまったが、勢いというものは恐ろしい。

例えば社員全員が結束した時の良い勢い。また、部員全員が顧問の先生に抱いた反感も、また違う勢いを生み出す。各々が勝手なことを考え始めた遠心力というのもすさまじく、ジョンソン首相も早晩レームダック化するのではないか。「UK最後の首相」と見る向きもあるようだが、無理もない。実際、例えば、スコットランドが再度独立を目指し、EU加盟を目論むなど、何があってもおかしくないと思う。

 

野球の話に戻るが、もともと弱いチームの監督就任要請であれば、工藤は引き受けなかっただろう。前任の秋山が結果はともかく、しっかり練習を積むチームを作ったから、オーナーが気前よく金を出してくれる球団だから乗ったというだけではないだろうか。火中の栗を拾う覚悟も、清濁併せ呑む度量もなかったということだろう。監督というのは政治家のようでもあるし、経営者の側面も持つだろう。監督には不向きの人間であったのだ。実際、現役のときは「ナベQと違って自分はコーチは出来ても監督には向かない」と言っている。※

繰り返すが、終盤で千賀のピッチングが勢いをもたらさなかったというのは人心が把握できていなかった、いい証拠だと小生は勝手に思っている。

文藝春秋誌、作家あさのあつことの対談。